第47話    庄内オキアミ考 T   平成17年02月27日  

今でこそ撒き餌や餌として当たり前のように使われているオキアミだが、その当初は食用として使われないかと云う研究から始まったものであった。昭和30年代の後半の東京に住んでいた頃、渋谷の東急会館の地下一階のニュース映画専門館5本立の中で見たのがオキアミについての最初の知識で知識が始めである。関西のメジナ師たちの一部の者が南氷洋で獲ったと云う、見たからにエビ状のオキアミなるものを使って大量に釣り上げていた。余りにも釣れるので、ニュース映画に取り上げられたのである。南氷洋の捕鯨の副産物として、捕って来たオキアミは未来の食料として考えられていた。そこで高栄養価な上にそして無尽蔵に居るオキアミを何とかしようではないかと水産会社が考えたが、独特匂いを解決するにはまだ時間と手間がかかりコスト上の問題点を抱えていたていた。そこで食料の他にテストケースとして一部の釣師たちに頼み、メジナ釣に使って貰った事からオキアミの餌と撒き餌が始まった。ところが、思いのほかメジナがバタバタと釣れてメジナ釣の特効薬として瞬く間にメジナ釣の人達に流行したのであった。

庄内では鶴岡の釣り人のよことびやエビまき釣りを除き撒き餌の習慣はなかった。まして撒き餌などする習慣のない酒田の自分はそんな事は直ぐに忘れてしまった。庄内にオキアミが入って来たのは昭和50年はじめの頃であったように思う。始めに入って来たのは、マキエとしてのオキアミではなく餌として半ボイルされたオキアミで主にブッコミ用として使われたので庄内の釣り人には余り注目はされなかった。ところが冷蔵会社に勤めていた釣の好きな連中が冷凍の生オキアミをケースごと買い、オキアミを手に入れて餌と撒き餌を兼用し黒鯛を狙う者が現れた。エビ撒き釣りが黒鯛やスズキ釣に実績があることを知っている連中は、活きエビを買うよりも格段に安いと云う事に目を付けたのである。当初冷凍庫を持たぬ釣具屋や餌屋は販売出来なかったから、生の冷凍オキアミは冷凍設備の整っている冷蔵会社でしか手に入らぬものであった。その当時の冷凍オキアミの価格は一ケースでコマセ用の安いもので8000円からつけ餌用の極上品が10000円である。

売れると分かってからの釣具屋の対応はそんなことがあってから12年後で冷凍オキアミを小割にしたものを販売するようになって来た。鶴岡の釣り人達は釣具屋から買うオキアミの価格が高価だった為にあの手この手を使って冷蔵会社の知り合いに頼んでもらい数人で1ケースを買い求め撒き餌として使う物が多かった様である。その結果どうなったかは・・・・・。当然の如く黒鯛が良く釣れる磯と云う磯はオキアミが絨毯の様にびっしりと敷き詰められるようになってしまったのである。富山湾でオキアミ公害と騒がれた時と同じ現象を生み出した。黒鯛釣をメインとする鶴岡の釣り人達の間でオキアミを撒けば撒くほどに黒鯛が大量に釣れると評判になったからに他ならない。やがて庄内の黒鯛が少なくなると男鹿の海にオキアミを持参して釣るようになった。エビまき釣りの上手な人は大量のオキアミを必要としなかったが、初心者や中級者達は大量の撒き餌を撒きに撒いていた。その為に当時ベテランの釣師達は大量に海底に沈んでいるオキアミを見て、魚が居なくなってしまうこと、海が汚染されるのを憂いていた。

酒田の釣り人の多くは撒き餌の習慣がなかったから撒き餌をしなかった。磯場で撒き餌を撒いて釣る鶴岡の殿様釣りに対し、酒田では防波堤で要所要所のポイントを探って釣る貧乏釣りと云っていたが、オキアミが出回るようになってからは事態は一変してしまった。次第に隣の鶴岡の釣り人に習って、撒き餌の習慣が根付くようになったのである。とは云っても貧乏釣りに慣れた酒田の釣り人たちは大量の撒き餌はしなかった。それでもオキアミで魚を集めて釣る釣は画期的な釣であったから、相変わらずポイントを探して釣る釣の人達とのトラブルはあった。

やがて全国的にオキアミ公害が問題となっていたらしく、釣雑誌などでオキアミなどの撒き餌禁止などが報じられる様になってきた。それで現在のような粉状の集魚材が生まれ少量の生オキアミを混ぜるタイプが生まれた。初期の頃のコマセはオキアミ単体で使用する方が実績が上がり、中々馴染めるものではなかったが、フィールドテスターなどの実践のTVの放映や釣ビデオなどの影響あって、その内色々使ってみてその地方に合う粉物の撒き餌も各自の好みに応じて使われるようになった。重い一枚ものの生オキアミをゴツゴツした歩きにくい磯場のポイントまで釣具の他に持って行かずとも済むと云う事は磯釣師にとっては最高の贈り物である。がしかし昔からの釣が失われる現象も生んだ。

エビやマエなどの活き餌を止めオキアミを使うようになって来た事により、思い切り竿を振り込むことが出来ないことで以前より一ヒロ以上バカが短くなり、それを竿の長さで調節するようになったのである。時を同じくしてカーボン竿の出現は画期的な軽さにより、重い庄内竿から移行する者が劇的に増えた。また元々カーボン竿は中空である事により中通し竿に改造し安かったから、それが普及し以前にも増して従来の延竿スタイルの釣は見受ける事が少なくなってきた。